<2022年 第82号>
藤棚の魅力ある人たちを紹介する「この街この人」。今月の「この街この人」は番外編です。なぜ、番外編かといいますと我が藤棚新聞のメンバーの紹介だからです。その名は「伊藤成人(いとうせいじん)」さんです。どこかで名前を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。それもそのはず、伊藤さんは某テレビ局にて誰もが知っている番組を40年にわたりプロデュースしてきた名物プロデューサーなのです。なぜそんな人が藤棚新聞の配達をしているのか、藤棚新聞・藤棚商店街への思いとともに、紐解いていきたいと思います。
――藤棚新聞との出会いは?
「もともと「西区まちづくり大学校」という街づくりの学校に参加し、そこに藤棚新聞の前代表がいまして、意気投合したのがきっかけですね。商店街への取材や記事の執筆、サンモール西横浜商店街への配布を担当することになりました。」
――もともと藤棚のお住まいですか?
「いえ、もとは永田町のほうに住んでいました。ちょうど高度経済成長期でもあり、父親が分譲地を購入し住んでいましたね。インフラもあまり整備されていませんでしたが、バスの便は今より豊富で、藤棚一番街の中もバスを走っていた時代でした。」
――今よりバスの交通網は便利だったんですね。藤棚新聞に10年以上携わってきた経験から、藤棚の商店街にはどのような印象をいだいていますか?
「そうですね、5つの商店街がありますが、一緒に活動することはあまりない印象を受けます。けれども、それがかえって個々の商店街の独自性やキーマンを生み出している気がします。その、潤滑油として藤棚新聞がそれぞれの商店街のつなぎ役みたいな役割を担ってきたと思っています。」
――これからの藤棚新聞に期するところはありますか?
「住民や商店、行政からの声をもっとすくい上げて双方向に情報発信できるような媒体になってほしいですね。一般的には投書欄などですが、商店街と近い関係性をいかして、より良い発信・受信を行えるとよいと思います。
あと、現在、藤棚新聞はほぼボランティア活動ですが、やはり先を見据えると、ある程度、収益性を見越した活動をするのもいいかもしれません。現在は広告収入のみですが、商店街とのコラボ企画などで利益を生み出す仕組みを構築していくことが、藤棚新聞をこれからも続けていくために必要なことかもしれません。」
――長年テレビ業界にいらっしゃる伊藤さんからみて、商店街というのはどのような存在ですか?
「仕事で東京に行くことが多いですが、都市開発で昔ながらの商店街がどんどんなくなっています。それに比べると横浜はまだ元気な商店街が多く残っています。時代とともに変わらなくてはならないものは変化すべきですが、変わってはいけない、残すべきものもあるはずです。商店街もその一つと思います。私が在籍したテレビ局も他局に比べると資金・人員ともに見劣りするものでした。でも、拙著(「テレ東流 ハンデを武器にする極意」(岩波書店))にも記しましたがそれはハンデではなく武器にもなりえます。商店街も大型商業施設にはかなわない部分もありますが、勝るところもあるはずです。アイデアを出しながら、商店街を活性化していってほしいですね。」
取材雑感:休日にもかかわらず気さくにインタビューに応じていただいた伊藤さん。この度、お仕事のご都合で藤棚新聞のメンバーを勇退されますが、後進のためにいろいろと有益なアドバイスをいただきました。中でも「持続化のための収益化」というのが一つのキーワードだったと思います。持続的な活動のために残されたメンバー一同、頭をひねらなければ、と感じた貴重な時間でした。